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まじやばいシネマについての日記

大いなる幻影

残業の果てに映画もライブも観ずに帰宅。洗濯洗剤、柔軟剤、食材を買いそろえて。久々に21時までに帰宅。まだこんな時間かと感激だ。

 

お弁当のおかずを数種作って、味見という名のつまみ食いをして、キュウリを1本かじって、風呂の扉をあけて不法侵入してきた飼い犬を抱き上げて無理やりシャンプーして、今に至る。飼い犬のぽんたさんは入浴が大嫌いらしく、怒って拗ねて、ゲージのなかでアウアウ言ってて可愛かった。

 

さて、今日は黒沢清の『大いなる幻影』のシノプシスを読んだ。なんとも面白そう。そしていかに今われわれが考えている脚本がクソか思い知る。やはり登場人物が「世界」とどのように関係を取り結ぶのか、そこが重要なんだろう。

 

大いなる幻影 [DVD]

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 「私は世界を知りました。そして、この世界をあなたと共に生きている、ということに今深く感動しています。あなたがいたから、私がいた。遠く離れていても、いや離れているからこそ、そのことが痛いほど理解できます。いろいろあったけど、二人はやっぱりひとつだった。私にとって、生きるとはそういうことであり、死ぬこともまたそういうことなのです」(黒沢清『映像のカリスマ 【増補改訂版】』、エクスナレッジ、2006年、三六三〜三六五頁。)

 

しかしなかなかレンタルがない。借りっぱなしのホークス『ハタリ!』を返却して借りないと。

 

東京かわいいガールと電話しながら、なんとなく手元にドゥルーズ=ガタリの『哲学とは何か』。『映像のカリスマ』も読み終わることだし、久しぶりに読んでみようか。